『美しい都市・醜い都市』

美しい都市・醜い都市―現代景観論 (中公新書ラクレ)

美しい都市・醜い都市―現代景観論 (中公新書ラクレ)

この人の本はエッセイっぽい。
話に脈絡がなさすぎて読みにくい。
ただ、最後の章への持っていき方は面白いと思う。

橋の上に道路をかけた日本の風景の流れを促進し、さらに新しい橋を首都高速の上につくると同時に、日本橋の下に木造の太鼓橋を復元して水に沈めようと提案。つまり、すでに橋が二重化されているのだから、二つ増やして、四重の橋を出現させ、垂直の段面に沿って過去から未来までを一覧できるランドスケープである。

  • テクノスケープ:構造物について緻密な計算に基づいて造形された工場や橋脚、煙突。
  • 『建築MAP東京』:1980年代以降に竣工した現代建築を中心に536作品を掲載。バブル期のポストモダン建築の台帳。
  • 『建築MAP東京2』:1990年代後半以降に登場した404作品を紹介。時代を反映してリノベーションやインテリアの物件を含む。
  • 『百変上海』:ある父子が同じアングルから都市の急激な変化を撮影した写真集。
  • 「世界の窓」「中国民族文化村」
  • 原敬:囲み型の都市居住空間を先駆的に実験していた同潤会アパートに着目し、あとで幕張に参加する藤本らと研究会を行う。その成果が、現代建築研究所による水戸六番地団地(1969)

かつてモダニズムは装飾のない均質な風景を生み出したことで批判された。しかし、深○は、ポストモダンのビルを徹底的に反復することで、平坦な風景を生む。ポストモダンの戦略は、モダニズムのコンテクストがあってこそ有効な批判として機能した。だが、ここでは最初から、すべてが凡庸なポストモダンのデザインで埋め尽くされている。地盤のない差異のゲームが過剰飽和し、差異自体を無効化してしまう。批判的精神を欠いたポストモダンという均質が究極のジェネリック・シティを出現させた。

世界中のどこにでもある同じような空間。場所の感覚が麻痺し、日常的な時間も消えていく。しかもそれ自体が都市化している。これはレム・コールハースが唱えたアイデンティティのない「ジェネリックシティ」の概念と重なり合う。パリやロンドンの中心部のごとき明確な特徴がない。無性格で無機質な無印都市。

現地(平壌)で、ふと思った。ここは景観論者にとってのユートピアではないか、と。無秩序な公告やどぎつい看板がない。騒音がない。電信柱がない。高架の首都高速がない。空がよく見える。無駄なものがなく、歩道が広い。ゴミが落ちていない。放置自転車を見かけない。茶髪がいない。不良がいない。浮浪者がいない。汚い店がない。風俗を乱すものがない。たとえば、空港では、体制批判の書籍だけではなく、水着の写真が載っているような週刊誌の持ち込みも禁止されている。清く正しく美しい。犯罪がなく、安全そうだ。そして建築と都市のデザインは明らかにコントロールされている。つまり、景観論者が嫌う諸要素が、ことごとく排除されているのだ。