写真とことば

あるとき彼は
「ああ、ぼくの写真はなんでもない写真なのだな」
と思い当たったことがあります。


何でもないというのなら、何かである写真があるわえで、それは彼にとっては美しい写真であったり、現実再現的な報道写真であったり、要するにこの事を伝えよう、この事を見てとってほしい、といった単純に授受のできる、伝達効率のいい、つまり伝えようとすることが他人にわかりやすい写真であると言えます。


その逆を考えて、彼は自分の写真を<何でもない写真>と思ったのです。たしかにその意味では、他人にとって、これといって伝えてくれるものは何もないので、<なんでもない写真>かもしれません。その上彼にとってさえ、この写真が何であるか、言葉でうまく説明できないのです。彼にもこの写真がよくわからないのだ、といってもいい。なぜなら彼のぶらぶら歩きながらパッパっと撮る方法には、オートマチスム的な手法を積極的に採用しよう、という意図があるからです。(大辻清司)

一ノ瀬は戦闘の取材を続けながら、次第にアンコールワットを撮るという夢に取り憑かれていった。クメール・ルージュの支配下にある、この世界的に有名な仏教遺跡を「一番乗り」で撮影することは、彼が戦争カメラマンの最高の栄誉と考えていたロバート・キャパ賞受賞の近道になるはずだった。ベトナムカンボジアの戦いは、当時終焉に近づきつつあり、やや遅くやってきた彼は、大きなスクープを狙うしかなかったともいえる。


結局一ノ瀬は、1973年11月22日か23日、長期滞在していたシアムリアップ村を出て、単独で解放区に向かう。「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!」大学の同級生である赤津孝夫に直前に出した手紙には、こんなふうに記されていた。(一ノ瀬泰造

結局彼は、アンコールワットを占領していたポルポト派により処刑されたそうです。

一ノ瀬泰造 ぼくが愛した人と村

一ノ瀬泰造 ぼくが愛した人と村