トポフィリア12章

物理的環境と都市の生活様式について。


次のような導入をし、次いで都市の生活様式多様性を示すために色々な事例を参照している。

中世には、歩行者は金持ちも貧乏人も、込み合った小路で互いに押し合っていた。社会的な階級制度は厳格であったが、人々がどこで生活するかとか、どのように移動するかという点は、きちんと空間的に表現されていなかったのだ。17世紀以降、富裕者による馬車の利用の増加は、人々の中に、社会的だけではなく空間的な分離をもたらした。通りや市場における社会階層の混合は、どんどん少なくなったのである。
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中世には、暗くなってからの外出禁止は珍しくなかった。治安を確実にするため、門や扉には鍵がかけられ、公共の場所は人々を外へ出して空にされた。都市生活のリズムは太陽に従っていた。

政治都市として成立した長安、そして、商業都市として発展した杭州


政治都市は理想化されたパターンに従って素早く建設されたのに対し、商業都市は人口の増加に合うようにゆっくりと成長していった。経済活動と人口が増大するにつれて、政治都市の城壁の内部では、店舗が割当地区を超えて広がり、城壁の外にも新しい市場と郊外住宅地域が発生し、スプロールが生まれた。


計画的に作られた長安では、街路が樹木と居住地区の何もない壁によって縁取られており、そのため大通りでも人がまばら。
これに対し、自然発生的な杭州では、通りに面して店舗と住居が並んでおり、通りを馬車・馬・ろば・運搬人などが行き交い、賑やかだった。


長安と杭州はどちらも人口の非常に多い大都市だったが、正反対な生活様式を示していた。一方は、落ち着いて荘厳、もう一方は耳障りできらびやか。


なるほど。

  • 中世都市

過密・活動・騒音・匂い・色などが充満していた。現代アフリカや東洋の都市の市場に限られるような種類の活気と混乱を生み出すものであった。またそこで公開される華麗な催し物に対する愛好も共通してみられた。


また中世の都市に共通してみられる点として、防御施設によって物理的な配置が支配されがちであったということ。

訪問者が都市に近づくと遠くから塔と小塔のシルエットが見えたであろう。もっと近くでは、どっしりとした塁壁・前面の堀・幅広く突き出ている等間隔の望楼に向かい合ったであろう。〜〜〜兵を配置する必要があるために、城門は少ししかなかった。15、16世紀までに、城壁と城門は防衛的な価値の多くを失い、代わりに象徴としての価値を獲得していた。都市は、訪れる高官に感銘を与えるために、城門の美的な精巧さを互いに競い合った。